夢は続く・・・・・

生涯で一度しかないと言われてきた東高の甲子園
東高が甲子園に出るなんて「空気銃で月を撃つようなもの」と言われた東高の甲子園
夏は全国優勝しているけれど松山商業と合併していた時期だった




82年目の校歌斉唱





チアガールの皆様、ブラスバンド・OBの皆様、大変お疲れ様でした。1回戦の勝利はお世辞でなく皆様の力があってこそだったと確信しております。皆様の「頑張るぞ!悔いのない試合をしろよ!」というメッセージが伝わった結果だと思っています。本当にご苦労様でした。


頭脳で戦うセンバツ

(週刊ポストより 抜粋)



道後温泉駅前にできたばかりの正岡子規像にて必勝祈願してきました。


漱石ゆかり対決!!  

大会第5日の25日、第3試合(午後2時開始予定)二松学舎大付と対戦

大会第5日の第3試合では、明治の文豪・夏目漱石ゆかりの二松学舎大付(東京)と21世紀枠で選出された松山東(愛媛)が対戦することになった。

 松山東と言えば、1933年以来82年ぶりのセンバツ出場。1892年創部の野球部は帰省した明治の俳人・正岡子規が後輩に野球を教えたことがルーツになっているという。愛媛県尋常中学時代赴任した漱石が1895年に1年間教壇に立ち、同校での体験を基に小説「坊っちゃん」を書いたのは有名な話だ。

 また、11年ぶりに出場する二松学舎大付にとっても、実は漱石と深い縁があるのだ。漱石は14歳だった1881年に当時漢学塾だった二松学舎の門を叩き、1年ほど漢詩文などを学んでいる。

 また、漱石は松山東の卒業生で親友の子規から「漱石」というペンネームを譲り受けたという縁もある。

 二松学舎大付は、1年生ながら昨夏の甲子園大会に出場したMAX142キロの大江―今村のバッテリーを中心としたチーム。松山東は主将で4番、マスクもかぶる米田主将が攻守の要となる。米田は「試合の雰囲気をしっかりと確認したい。当たって砕けろ、のつもりで頑張る」と気合を込めていた。明治から平成に。。。。時は流れて顔を合わす2校の対戦が楽しみだ。    


The Way of the Koshien

甲子園への道!

※甲子園での諸注意や座席表


開会式終了後の練習風景などの写真を紹介いたします。


本日3月20日 朝10時より 甲子園入場式のリハーサルでした。


3月16日市役所前にて壮行会が執り行われ、選手はそのまま甲子園へ向いました。





松山東高 後援会応援デスクが新設

大街道と二番町の角から中央郵便局に下がったところのマンションの1階に新設されてます。

甲子園の試合が終わるまで開設されているようで甲子園ツアーの応対に追われていました


第87回春のセンバツ 応援プレジャン

(※非公認&非営利)


※このプレジャンは 松山東高「非公認」でOB会も父兄会も関与していない有志独自のものとなります。?

本来 知人のみで作成予定でしたが現状の申込者数だと 本体(服)2000円で両面プリント代金の方が高く2200円、税込みで4500円ぐらいで結構高くなります。

 


これが50名以上だと 3300円前後で作成できるので希望者を募ります。

 


受付終了しました。